アサミの戯れ日記

アサミが聴いている音楽や買ったもの、旅行や趣味について書いていきます。

全部投げ出して1からやり直したいときに

こんにちは アサミです。

 

RPGゲームのデータを消して最初からやり直したい、アドレス帳を全部消したい、そんなことを考えていた若い頃はありますか?わたしはしょっちゅうそんなことを考えていました。やり直せることは何度もやり直すし気に入らないものは全部捨てて最初から作り直す。

でも、それが学校や会社では許されないことがあります。学校で図画工作の作品を作っているときに、うまく行かなかったので壊して捨てて新しいのを作ろうとしたら先生に叱られました。会社でも資料の作り込みに納得がいかなくて1から作ろうと思ったら止められました。

 

なんでこういうことが許されないのかと少し考えて、以下の2点に思い当たりました。

・作ったものへの責任はわたしではなく教師or会社の上司にある。

・結果ではなくプロセスを評価の対象としている。

 

 

1つ目の理由は管理する立場としては納得にできる理由です。一方で、多くの会社や教育現場では主役となる労働者/児童/生徒 個人の裁量は少ないのではと思います。大学や研究機関で研究している人たちはそれなりに自由と自己責任がありそうです(わたしの想像)。

 2つ目の理由について、結果重視化プロセス重視かというのは適性検査や性格診断などでもよく出てくる質問ですね。わたしはどちらかというとプロセス重視の傾向があったと思うんですけど、自分が納得いくものを作りたいという気持ちがあるので、そういう面では結果重視かもしれません。終わり良ければすべて良し、ではなく、終わりがダメならプロセスもダメ、と思います。

 

組織に属して、お金をもらっている立場においては何かしらの評価を与えられるので、その評価方法について自分が納得いかない場合には、自分が属する組織を変えてもいいんじゃないかと思います。ただそうはいっても変えられない人が多いですね。みんな生きづらくない?

 

わたしはそういうことを考えていて、すべてを一からやり直したくなったので、属する組織を変えることにしました。そう、転職です。

日本的な会社にいる限り、会社のために身を粉にして働くとか、ただがむしゃらに頑張るとかそういったことが、メジャーになっているように見えます。どこの日系会社の話を聞いてもそういう話が少なからず話題に上がります。一方で外資系の会社や研究機関にいる人の話を聞くと、結果主義・自己責任のような印象を受けます。どちらがいいかというのは一概に言えないのですが、わたしは前者のような組織に属している中で自分にはもしかしたらこのような環境は合わないのではないかと感じてきました。それが合う人もいるので良い・悪いの論点はないということを何度も繰り返しておきます。環境に合わないということに気づいただけでも、わたしがその環境にいたことは無駄にはなりません。その経験を生かして自分がどのように生きていくかということを考えるきっかけになりました。

 

言いたいことがまとまらなくなってきたんですけど、自分がいるべき環境じゃないと思ったらすぐに見切りをつけて環境を変えるのがいいですよ。

 

ご愛読ありがとうございました。

次回もよろしくお願いします。